「菜の花の沖」などで淡路島とも大変ゆかりのある、司馬遼太郎(しば りょうたろう)さんの名著である『坂の上の雲(さかのうえのくも)』第一巻の「あとがき」より、失礼ながら上の文を拝借しました。
明治時代という私達の国家がまだ幼かった頃は、多くの人々が自分の持っている力を最大限に発揮して毎日を生きていました。未来の可能性を信じて、痛々しいまでの昂揚感(こうようかん)を心の中に持って、「学ぶこと」に情熱を傾けた人々がどれほどいたのか、それはわかりません。
しかしながら長かった江戸時代の制度を捨てて、今では考えられないほど欧米諸国の驚異を感じながら、1人1人が何かをしなければいけない。と思っていたと私は思います。
誰もが、ある一定の資格を取るために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも官吏(かんり)にも教師にもなることができた時代。誰もが時代の主役として、大きな希望を胸に「学ぶこと」に恥じらいを感じなかった時代が明治であったのでしょう。